Ruri451329’s diary

このブログは僕自身のことや、僕の周りの人に関して僕が考えていくブログです

僕とお姉ちゃん

僕から見たお姉ちゃんはとてもかっこよくて、かわいくて、人気者。

要領よく何でもこなして、世渡り上手ですごく器用。

とてもすごく自慢のお姉ちゃんです。

 

周りから見てもすごく仲良しに見えるみたいなので、僕も仲良しなんだと思っていますし、何より大好きです。

 

これはよく聞かれることなんですが、僕とお姉ちゃんは全く似ていません。

僕が黒ならお姉ちゃんは白。僕が男の子に見えるならお姉ちゃんは女の子。

僕が男嫌いならお姉ちゃんは女嫌い。

 

小さいときから同じように育てられたけれど、全くの正反対に育ちました。

それはもう周りも不思議に思う程度には。

 

けれど、こんなに誇れるお姉ちゃんだけれど、僕の最大のコンプレックスでもあります。

どうしてでしょう。どうしてだろう。

 

敢えて言うのなら僕のせいなんでしょう。

正直言って僕は面白みのある人間ではないし、これといって誰かに誇れる特技もないです。

僕が僕の友達である人たちと遊べば大抵「お姉ちゃんは?」ときかれていました。

僕の恋人であった人が僕のお姉ちゃんを目的にしていた事もありました。

それも当然でしょう。ショックであったとしてもそこに怒りを覚えたことはありません。

どんなになにがあったところで僕はお姉ちゃんの劣化版だと自分でも思っているんですから、そこに腹を立てる必要なんてなかったんです。

あえて腹を立てるところがあるとすれば、それがお姉ちゃんの邪魔になる行為であることくらいです。

 

こんなに、されようと、こんなになろうと僕はお姉ちゃんを裏切らないと心から決めたできごとがあります。

 

確か僕が中学1年で、お姉ちゃんが中学3年の時に、両親が用事で夜出かけている時に自転車で二人乗りをしていた時に、僕は悪いことをしているということに少しだけドキドキしながら自転車をこいでいた時お姉ちゃんが小さな声で「るりが他人の男の人ならよかったのに」と呟いたことです。

背中には少しだけ濡れた感覚。

お姉ちゃんが当時の恋人とうまくいってないことは知っていました。

それでむしゃくしゃして僕を連れ出したことも。

 

その時僕は息が止まりそうなくらい苦しくなりました。

僕までなんだか泣きそうになって、「僕もそう思うよ」と答えたのを覚えています。

 

悲しかったんです。どれだけ自分勝手でも、有能なお姉ちゃんがこうして涙していることが。

僕にはたまらなかった。

もちろんそこに恋心なんてそんざいしません。ただ苦しさに任せて口に出しました。

 

そんなこともはやお姉ちゃんは覚えてないかもしれないし、そう口にしたことさえ黒歴史になっている可能性はありますけど。

 

僕はお姉ちゃんのことを考えるとこの苦さをいまだに思い出して、絶対に裏切らないと決めています。

ただのシスコンの戯言ですね。

嘘にしない、裏切らない、絶対に助けてと言われたら助ける。永遠にそう思い続けるます。

最愛で、最大のコンプレックスのお姉ちゃんは僕の宝物。

自閉症スペクトラム 3

今回は先日言ったように自閉症スペクトラムの【受動型】について話していこうと思います。

 

【受動型】は自閉症スペクトラムの中でも一番付き合いやすいといわれています。

 

それでは特徴を上げていきたいと思います。

①人からの接触を避けることはない

②従順で笑顔でしたがうので、小さなときはいい子だとみなされるけれど、大きくなるにつれ面白みのない人間だと思われがちになる。

③問題行動が少ないので、放置されることも多い。

④従順なので無理なことを頼まれがちになる。

⑤青年期になって、反動みたいに大きな問題が出てくることもある。

⑥いじめの被害者になっても、教師や親に気づかれない。

 

なんといいますか、今思い返してみると、まんま僕のことだなぁ、とおもいます。

確かにやっぱり多かれ少なかれ誰にでも当てはまりますよね・・・。

 

青年期っていうのがいつ頃のことなのか僕にはいまいちピンときませんが、小学校三年生くらいですかね。

自分でちゃんと自覚したのは、僕の中での一番の問題行動は、夕方になり家に帰ると感情のコントロールがまるで効かなくなっていたんです。

少しの刺激で泣いたり怒ったり、暴れたりをしてしまっていました。

自覚をしていてもコントロール出来ない事に変わりはありませんでしたが・・・。

 

ただ本当に悪意はないんです。

なんと表現すればいいんでしょうね、本当に怒りに支配されパニック状態です。

大好きな人たちに対して怒りたいなんて感情は全くなかったのに、それでも自分では止められませんでした。

 

僕が勇気を出して母に「病院にいきたい。自分がおかしいなら何がおかしいのか、どうして自分がこうなのかしりたい」といいました。

母は僕が自分で言い出すのを待っていてくれていたんです。

普通でないと気づいていながらも、僕が臆病なのをりかいしていてくれたから・・・。

そこからはすぐに行動してくれました。

病院の予約とかそのほかにもいろいろと・・・。

 

僕はあまり記憶力が良くないのですがそれでも母が医者と話していた時のたった一言だけ覚えています。

その言葉は「ずっと泣くときとか怒るとき何かを我慢している様な泣き方をしていた」という一言です。

 

母にはまだ伝えていないけど、僕はこの言葉にすごく救われた気分になりました。

伝えきれていなかったのに伝わっていたものがあった事がすごく嬉しかったんです。

 

いつか僕の家族の事も書くね。

 

今日はこの辺で。ここまで読んでくれてありがとうございました。

自閉症スペクトラム 2

 

今日は先日あげた自閉症スペクトラムのなかでの一つの特徴である対人関係について話していきなたいなと思います。

 

ざっくりとしか挙げなかったのでもう少し詳しく書いた方がいいのかと思いまして・・・。

もちろんほかのサイトにも乗っていることでもあるので、もし僕の書き方がわかりずらければそちらを覗いていただけるとうれしいです。

 

 

いくつかのタイプの人とは遭遇したことがあるので体験談も含めて紹介していきますね。

 

まず、基本的には対人関係において四つの型に大まかに分類されます。

①孤立型

②受動型

③奇異・積極型

④尊大型 

です。

 

ちなみにこれは時間が経つにつれ変化していく場合もあるそうです。

ただ変わらないのがあるとすれば【違和感】は残る、ということだと思います。

 

 

①の孤立型から特徴を説明していきたいと思います。

・まるで相手がいないかのようなふるまいをする

・一人遊びが多く、無理に介入することを嫌がる

・自分以外にも気持ちがあることを理解してない。

 

多かれ少なかれやっぱり誰にでも当てはまりそうな部分はありますね。

このタイプの人には出会ったことがあります。ただの自己中や自分勝手とは次元が違うんですよね。

たとえばよく小さなころに「自分が同じことをされたらどう思う?」ってきかれたことはありませんか?

相手の立場や、自分の行動を多少なりとも理解していればだいたいは伝わるんじゃないかなぁ、とか、謝るかどうかはともかく罪悪感くらいは持ちそうじゃないですか。

そんなことは一ミリも理解していません。

自分がされたらたとえ100%怒るとしても、です。

だってそれはそうですよね。そもそも自分以外に気持ちがあることさえ想定外、想像外なんです。

しかもそこに悪意も罪悪感も存在しません。

学ぶ機会自体が少ないといっても過言ではないんだと思います。

 

こうやってまるで他人事のように書いてる僕も他人の気持ちを決して理解しているわけではありません。

むしろ逆だといってもいいと思います。

他人に気持ちがあることを理解はしています。

けれどそれを過度に恐れるようになりました。

自分以外の一言一句、一つ一つの行動すべてが怖くなったんです。

自分が同じことをされたらどう思うかわからない、わからないことは怖い。それが僕にとってはすべてなのかも・・・。

 

気持ちがあることを理解したって、その気持ちを理解することはすごく難しいことです。

普通の人であってもそうでない人であっても。

 

今日はここまでにしておきます。どう感じましたか?

よかったらコメントお待ちしております。

次回は【受動型】について詳しくはなしたいと思います。

 

自閉症スペクトラム 1

 

今回はいくつか持っている障害の中の【自閉症スペクトラム】についてはなしていきたいとおもいます。

だけど、かなり複雑だったり、難しかったり、なにより、僕自身があまり健常者・定型型というものをあまり理解出来ていないし、語彙の問題もあって伝わるのかはかなり不安ですが・・・。

けれどできる限り丁寧に伝えていきたいので、何回かに分けて話していきたいと思います。

 

自閉症スペクトラムは、少し前まではアスペルガー症候群と言われていました。

そして発達障害の一つで、やはり先天性、つまり生まれ持ったものです。

ただ普通の障害と違うのは目に見えない所です。

それ以外は恐らく普通の、例えば五体不満足などの障害と同じです。(わかりやすいと思い出しただけで悪意はありません)

 

色々語りたいことはたくさん溢れてくるのですが、まずは土台からの方がいいのかな・・・。

 

一番わかりやすい特徴としては、対人関係での独特さ、こだわりに対しての強さが代表的だと思います。

ここで勘違いというか思い違いをしてはいけないのは、目に見えない障害な以上、障害とみとめない限り障害にはならない、ということです。

耳が聞こえずらい人が補聴器をつけるように、目が見えずらい人が眼鏡やコンタクトをするように

生きずらいと感じる部分を改善するために補助が必要、というだけです。

生活に支障をきたしているなら、それを改善、補助がひつようなだけなんです。

 

比較的男性に多く見られ、女性はそれよりぐんと少ないです。(ただここには個人的に思う所があり、それについてもまた今度話していきます)

 

ちなみにやはり生まれつきの脳の以上なので、それは小さなときから違いが多かれ少なかれみられます。

 

代表的なのは

・視線がなかなかあわない

・表情が不自然

・名前に反応しない

・人見知りをしない

・親の後追いをしない

・独り言が多く、オウム返しがおおい

・「あっちをみて」といわれてもなかなか見ない

・触られるのを嫌がる

・一人遊びが多く、ごっこ遊びをあまりしない

・食べ物の好き嫌いが多い

・欲しいものがあるとき、言葉や身振りではなく親をその場へつれていく、、、などです。

 

もちろん個人差はあるし、全部が全部当てはまるわけでもないです。

だから診断も難しいんでしょうね。

ハッキリとその典型を示す人もいれば、あいまいに示す人もいます。

一概には言えない所が余計に厄介なんですね。

 

今日はここまでにしようと思いますが、最後に僕が実際に言われた言葉を紹介しますね。

トラウマに近いものですね。

【ロボットみたい】【宇宙人と接している気分】です。

もしこれをあの時本気で言ったのだとしたら、僕から見たその人はどう見えていると感じてたんでしょうね。

僕と僕のパートナー

今回結婚したわけですが僕は何も変わらない。

今までの通りパートナーがいて、だからそれ以外に向ける好きやお気に入りは【友達】としてだから。

これまでみたいに気まぐれに配信するし、ゲームするし、自撮りあげるし、僕は僕のしたいことをします。

結婚に対する価値観の違いとか、意味の違いがあるのは理解してるよ。

辛いことも泣いたことも病んだことも沢山あるし。

みんなが僕をどういう風に捉えててもかまわないけど(もちろん好意的にみられてる方がうれしい)僕のパートナーになるのは僕自身なら絶対に嫌だと思うくらいには、すごく難しくて面倒なものなんだよ。

惚気じゃないよ。これは。

もともとの障害、これから増えていくであろう副作用、それで普通には働けないのを医者にもいわれてる。

しちゃいけない、やめないといけないといけないと思ってても、止められないパニック。

それは昼間でも夜中でも関係なく起こるし、人の多いところにいけば身体に絶対といってもいいくらい不調が起こるから、好きな所に好きなようにはいけない。

休みの日だから出かけようと約束してたとしても、立てないとかまともに動けないくらいに副作用がでることもある。

ここに書ききれないだけでそれ以上の問題はそこら中に転がってる。

それで不満がたまらない人なんていないし、それなら普通のいい人はたくさんいる。

鑑賞物の僕は変わってるだろうし、多少は面白かったらいいなぁとはおもうけど、一緒に過ごすのはそれ以上に苦痛のほうが多いと思う。

普通なら、普通なら、って何度も思うと思う。

パートナーはそれでもなお、そんな苦痛を体験してもなお、一緒にいたいって思ってくれた、らしい。

だけど一番はそこじゃない、僕は僕が幸せにいつかなりたいから、今のパートナーを選んだ。

相手を幸せにしたいとか、一緒に幸せになりたいとかはほとんど思わない。

僕の幸せがパートナーの幸せが偶然でも、たまたまでも、重なったらラッキーなのかな、くらいにしか思ってない。

だから多分僕に捕まえられなかった人のほうが幸せになれるんじゃないかなぁ、とかね。

綺麗さなんて一つもない、綺麗ごとは全部抜きで、僕は僕のためにパートナーと一緒にいる。

反感をかったり、嫌いになられたりするかなぁって思うけど、僕は相当にひどい人間だよ。

でもそれでもなお、僕にかかわろうとしてくれえる人がいるならそれはとってもありがたいことだと思ってます。

わがままで、本当に子どもみたいだけど、本当は嫌われたくない。

僕と関わるのが苦しくても僕と関わってほしい。

共依存

僕は人間の関係の中で一番共依存が綺麗だと思っています。

実際的な意味と、僕が解釈している意味は多分違うと思うけれど、それで苦しんでいる人もいるけれど。それでもなお、そう思います。

だからこそ思うんです。

『それは共依存とはいわないよ』と。

今回は僕の思う共依存の意味と関係、何に対して違うよと思うのかを話したいと思います。

 

 

僕の中での共依存とはなにか。

それは自分の命を相手に預け、相手の命を自分が預かる、絶対的な信頼関係です。

 

絶対的な信頼関係と簡単に言っても、もちろんそんな綺麗事だけで終わる、なんて事はありません。

人間自分を傷つけられることで誰かに失望し、泣いて怒って、苦しむ。

そんな事さえ相手に委ねて、自分が握る。

自分のために相手を思いやり、愛して、怒って泣く、そして守る。

もちろんそれには相手をこよなく、自分以上に愛すことが大前提ですが。

その関係は危うくて、すごく危険で、誰でも簡単にできることじゃないです。だからこそここまで綺麗なんです。

もしかしたら自分愛おしさに相手を囲ってしまうかもしれない、縛ってしまうかもしれない、その危うささえ愛せる。

僕はずっとこんな関係に憧れ、焦がれて、それこそ恋をしてきました。

 

だからこそ、こんなに、憧れているからこそ、なんだか釈然としないんです。

現実的な共依存は。それこそ失望してしまいます。

夢見がちなんてことは置いといていいんです。夢を見てこその人間なんだから。

自分を愛せずに、信頼できずに、そんなありもしないものを相手に預けることができるんですか?

僕は出来ないと思いますね。だって存在しないんだから。

だからたいていの人は共依存じゃなく、依存を目指す。

自分を預けることなく、相手を預かるわけでもなく、ただただ自分の不満のはけ口を。

それだって悪いことじゃないです。

他の何より生きることがきっと大事でその為に誰かが必要なら仕方ない。

子供が親に依存して生きるしかないみたいに、今までや今の僕みたいに、誰かに依存して生きるしかない人もいるんですから。

 

ただ僕は共依存を目指していきたいところですね。僕は自分に自信はないけど、大嫌いだけど、ほかの誰より自分を信用し、愛しているんですから。

そしてパートナーをこよなく愛してるんだから。

 

 

自己紹介

まずは、手始めにざっくりと自己紹介をしていこうと思います。

とは言ったものの自己紹介をしろとなった時に出てくる言葉なんてたかがしれていて書くのも、読むのも、僕は何とも苦手です。

自分はこういう人間なんだという主張、その違和感が何とも、ね。

ごたごた言っていても始まらないし、ここまでで読んでくれてる人にはいったい何が伝わってるんだろうと思うと少し笑ってしまいますから、ちゃんと自己紹介をしてみようと思います。(実をいうとちゃんと自己紹介は初めてです)

 

 

主にツイキャスで配信しているるり(るりつむり)といいます。

 

今のところキャスで活動しているアカウントは二つ。

・一つは雑談が中心のアカウント。ゲーム配信とは書いてるものの名ばかりで今のところは画面を映して配信したことはありません。基本はゲームをしている僕にカメラが向いています。けれどこれに関しては色々とやり方がわかり次第改善予定です。

・もう一つは作業が中心のアカウントです。こっちに関しては人と関わろうというより、頑張ってるんだよ、褒めてよ、ってアカウントですね。

 

Twitterのアカウントは全部で三つあります。

・一つ目は本アカの「るりつむり🐌」です。これは特に説明することはないですね。残念ながら。

・二つ目は自撮りアカ「るり🐌」です。このアカウントは、自撮りをあげているアカウントですね。僕の顔に興味ない人もいる中自撮りをあげていくのは気が引けたから出来たアカウントです。落ち込んだりすると書き込む愚痴アカでもあります。

・三つ目はグラブルっていうケータイゲームの救援コードを流すアカウントです。公開はしてるけどほとんど需要はないですね。フォローする必要のないアカウントです。

 

ここまでは若干宣伝みたいになってますね。ここからが本題ってことにしてもらえると嬉しいです。

 

僕は、一応、自閉症アスペルガーADHD、軽度知的障害、うつ病パニック障害睡眠障害、LGBTQ、です。とは言っても自分がどの程度ずれているのかその辺は全くわかりません。

こうやってブログを書こうと思い、その背中を押した理由です。昔から自己顕示欲が強く、誰かに認められたい、自分を見てほしい、知ってほしい、という気持ちの最後の一押しですね。

あとは、僕のパートナーのこともあり、こういうはた目から見たときの行動原理のようなものを知らせたい、という気持ちです。

全部は理解できませんでしたが、自分と同じ障害の人が身近にいて苦しんでいる人をみたので。

 

ちゃんととは言ったもののやっぱり自己紹介は難しいですね。なのでこれぐらいで切り上げます。詳しくはこれから出てくる記事に徐々に書いていくのでよろしくお願いします。