共依存
僕は人間の関係の中で一番共依存が綺麗だと思っています。
実際的な意味と、僕が解釈している意味は多分違うと思うけれど、それで苦しんでいる人もいるけれど。それでもなお、そう思います。
だからこそ思うんです。
『それは共依存とはいわないよ』と。
今回は僕の思う共依存の意味と関係、何に対して違うよと思うのかを話したいと思います。
僕の中での共依存とはなにか。
それは自分の命を相手に預け、相手の命を自分が預かる、絶対的な信頼関係です。
絶対的な信頼関係と簡単に言っても、もちろんそんな綺麗事だけで終わる、なんて事はありません。
人間自分を傷つけられることで誰かに失望し、泣いて怒って、苦しむ。
そんな事さえ相手に委ねて、自分が握る。
自分のために相手を思いやり、愛して、怒って泣く、そして守る。
もちろんそれには相手をこよなく、自分以上に愛すことが大前提ですが。
その関係は危うくて、すごく危険で、誰でも簡単にできることじゃないです。だからこそここまで綺麗なんです。
もしかしたら自分愛おしさに相手を囲ってしまうかもしれない、縛ってしまうかもしれない、その危うささえ愛せる。
僕はずっとこんな関係に憧れ、焦がれて、それこそ恋をしてきました。
だからこそ、こんなに、憧れているからこそ、なんだか釈然としないんです。
現実的な共依存は。それこそ失望してしまいます。
夢見がちなんてことは置いといていいんです。夢を見てこその人間なんだから。
自分を愛せずに、信頼できずに、そんなありもしないものを相手に預けることができるんですか?
僕は出来ないと思いますね。だって存在しないんだから。
だからたいていの人は共依存じゃなく、依存を目指す。
自分を預けることなく、相手を預かるわけでもなく、ただただ自分の不満のはけ口を。
それだって悪いことじゃないです。
他の何より生きることがきっと大事でその為に誰かが必要なら仕方ない。
子供が親に依存して生きるしかないみたいに、今までや今の僕みたいに、誰かに依存して生きるしかない人もいるんですから。
ただ僕は共依存を目指していきたいところですね。僕は自分に自信はないけど、大嫌いだけど、ほかの誰より自分を信用し、愛しているんですから。
そしてパートナーをこよなく愛してるんだから。